シチュエーションの奴隷というお話
~の奴隷っていう言い回しいいですよね。
いいかな?
以下気持ちの悪いオタク文法で書かれたオタクセンテンスが
お寒いテンションでだらだら続くので見ないほうがいいと思います。
思いますけど、まぁ見てしまうならそれは仕方のないことなのですよ
僕もオタサーに入って細々とオタクをやっていた身ではあるので、
周りにいる方とオタクみたいな話をすることもまぁあったわけで。
そんな中でとりわけ"何が面白いか"、"どう面白いか”みたいな話を
する時に僕が良く喚き散らしていたのがこの『シチュエーションの奴隷』って言葉です。
基本的に何かを表現する語彙が少ないのもあって「シチュエーション」とか
「シチュエーションの奴隷」みたいな言葉を度々使っては、
何かをわかったかの様にいっちょ前に語っていたわけですが、
別にコレといって僕の中に「シチュエーション」といった言葉に対する
明確な定義があったわけではないので(*1)、お話に乗っていただいた方々を混乱させてしまうことがままありました。
(*1 勿論、おぼろげにはありましたよ。ありましたけどおぼろげなものはおぼろげにしか他人に伝わらないもので、
その伝わったおぼろげなものを元にさらにおぼろげな話をするわけですから、地域共催おぼろげ祭りみたいなことになるのは自明でしょう)
まぁそんな状態を打破しようと思ったのが1年前。
機会がある毎に少しずつシチュエーションに対する自分の考え深めてきまして、
少しは形になってきましたので、だらだらと文章にまとめ始めたのが今年の2月に入ってから。
まぁ書いたものは公開したいよねって言うのが人情(*2)なので、だらだとブログに垂れ流していこうかなと思ったり思わなかったりで。
(*2 もちろんそんな恥ずかしいものを人に見せたくないって言うのも人情ですが)
そんな怪文書を公開する前に少し関係のありそうな事を
書いておいておこうと思ったわけです。
で、まぁ冒頭の~の奴隷っていう言い回しいいですよね。って話につながるんですけど。
いいよね?って聞きましたけど。
実の所あんまり良くないなぁと思ってます。
僕は大体一月(4週)に30冊程度のマンガと15冊程度のラノベと
週間少年誌(ジャンプ/サンデー/マガジン)を12冊と30分のアニメを32本前後
消費します。
これが多いかどうかについてはまぁ人によって評価が分かれるところでは
あると思いますが、少なくはないかなぁと思ってます。
この少なくはないコンテンツを僕は半ば脅迫的に、流し込むように
消費しています。
ひとつひとつ良く味わうこともなく、噛み砕くこともせずに
喉越しサイコーと言わんばかりに、もっと欲しいもっと欲しいと
消費していきます。
その衝動の中心にあるのが「○○(キャラクター)が○○しているところ(≒シチュエーション)が見たい(以降『≒シチュエーション』と表記。
≒(ニアリーイコールなのは今僕の考えるシチュエーションそのものではないから))」という欲望です。
上の欲望を満たす最も簡単な方法が大量のコンテンツの消費です。
一つの作品の中でのあるキャラクターの動きなんてそう多彩なものではありません。
また、気に入った『≒シチュエーション』があっても、それがもう一度同じ作品の
中で出てくる可能性は低くなります。
となれば好きな『≒シチュエーション』は大量のコンテンツからそれを得るのが
手っ取り速いわけです。
10のコンテンツから吟味して7~8の好きを見つけるよりも、
100のコンテンツを雑に流して「これ好き、これ好き」って10の好きを見つける方が速いです。
そんなこんなで僕は大量のコンテンツを、あまりろくでもない勢いで消費するようになりました。
これが僕の言っていたシチュエーションの奴隷です。
好きな『≒シチュエーション』さえあればストーリーとかキャラクターとかどうでも良いわけです。
あんまりよろしくはないわけですよ、えぇ。
でもまぁ、そんな事を続けてるうちに取りこぼしが気になってくるんです(お金も馬鹿にならないですし)。
『あの作品のストーリー上であればあの『≒シチュエーション』は好きかも知れない』とか、
『今思うとあのキャラクターが絡んでいるならあの『≒シチュエーション』好きだったかもしれない』とか。
でも雑に消費して来たのでもうあまりよく思い出せないんです。
それに食べ残したコンテンツに如何においしい部分が残っているかも知れなくても、
新しいコンテンツは次々と供給されてきます。
なんとなく話も思い出せてしまう古いコンテンツよりも未知のコンテンツに対して
の期待感には抗いがたいものがあります。
ではどうすべきか?
せめて今後消費していくコンテンツについては取りこぼしを減らしていきたいのです。
100の内から10だけでなく50や60、欲を言えば70や80の好きを拾えればいいなぁと思います。
でもどうやって?
自分の好きを分析しましょう。
何が好きで、どうして好きで、どうやって好きになるのかを。
そもそも『シチュエーション』って一体何とか。
自分の好きなもの、楽しいことについてちゃんと知るべきだったのです。
人間自分が知らないことには中々気付く事はできないのですから。
自分の好きを知るだけで、一つのコンテンツからみつけられる好きは
きっと飛躍的に増える筈です。
それでどうなるの?
どうにかなるわけではないのですけれども。
結局シチュエーションを追い求めていることには変わりはありませんし。
でも、きっと今までよりは少しましな
『善き』シチュエーションの奴隷になれるのではないでしょうか。
まぁそんな様な事を思いつつ、僕はシチュエーションについて考え始めたのでした。